
母の命日なので、両親が眠る登別市のお寺の合祀墓にお参りしました。
札幌は雪景色だったが、苫小牧からは雪がほとんど無かった。

「北海道の中心は、札幌ではなく苫小牧にしてほしかった」「え、やだよ」
登別市の実家だった家に寄ると、内部の壁や床を剥がしてリフォームしており、庭に建材が置いてあった。
1980年ころ、父が一生懸命考えて見取り図を書いて作った家だったが、諸行無常というべきか。



玄関前には、両親の名前の表札が張られたままだった。中は空き家で、壁も床も剥がれているのに、表札だけ残っているのは、父の思いがまだ張り付いているようで、痛々しかった。

野良猫は、リフォームの職人さんの許可を得て、表札を剥がして、「位牌とか無いんだから形見に持っていなさい。お父さんが生きた証なんだから」と渡した。「しかし、私が死ねばすべてはゴミになります」「俺たちが入るお墓に一緒に入れたら良い」
それから、2009年に父と散歩した刈田神社を再訪した。その時、大正天皇の結婚記念の大婚の石碑、明治天皇来訪記念の石碑、英霊碑、さざれ石を見て回り、それから、明治に蝦夷地を描いた大絵馬を見せてもらい、記念に、父は神社でブレスレットを買ってくれた。





今回、宮司さんが大絵馬の説明をしてくれました。明治時代に、愛媛県から入植した人たちが、自分たちが住む蝦夷地の素晴らしさを絵馬に描いて金比羅神社に奉納したものの複製で、実際は、土地がやせていて開墾に苦労したが、それを見せまいと立派に描いたそうです。見栄もあったかも知れないが、故郷の人に心配かけたくなかったのではないか。

登別市は、片倉町に仙台伊達藩の家臣の方が入植したと聞いていたが、愛媛県からも来ていたようでした。
そんな歴史を知ってから、お寺に向かい、両親が眠る合祀墓にお参りをした。母が信心していた弘法大師さまのそばで、常に花も供えられ、管理されたお寺なので良かった。

それから、昔、父と訪問したソーダ食堂で食事しました。野良猫はカツ丼、私はオムライスを頼んだが、ボリュームたっぷりだった。


この食堂は、私が高校生だった頃からあり、曹達工場の社員食堂が由来だったらしい。
昔はもっとボロい建物だったが、昔から美味しいことで有名だった。古い看板が残っていた。

札幌に戻り、妹に車を返す前にみんなで「サンドリア」に寄って、妹はサンドイッチを買ってくれた。

