
バスで、札幌から幌別に到着すると、まずは馴染みの喫茶店に顔出しして、マスターに挨拶し、コーヒーを飲んだ。
カムイヌプリ(幌別岳)が見えた。カムイヌプリという山は摩周湖あたりに同名の山があるので、幌別岳のほうが分かりやすかった。オレンジ色の建物は、スーパーシンワと言いますが、かなり前から営業していなかった。
家に着くと、喪服を着た弟が、骨箱やお供えの花や果物を用意して待っていた。家や土地の処分などの事務を任せている弟に、感謝の気持ちとお供物のお菓子代を兼ねて、お金を少し渡した。
いずれ処分される家や庭の写真を撮った。庭石を置き枯山水を作った庭は、父の自慢だった。その父もすでにいない。

お寺の納骨堂に入り、住職さんの指示に従い、花を生けて果物をお供えしてから椅子に座ると、やがてお経が始まった。
納骨堂には弘法大師さまを祀る祭壇と、花や果物、お線香などをお供えする卓があって、その卓の真下の床板を外すと、地中の共同墓地になっていて、私の両親の骨壺はこの地中に納められることになりました。

母は、本当は、合祀墓ではなく独立した「◯家の墓」がほしかったのだ。
でも、いつも母に良くしてくれた住職さん夫婦が住むお寺の合祀墓で永代供養していただき、このお墓には、母の古い友だちも眠っていた。もしかしたら、今生きている仲良い友だちがお参りしてくれるかも知れない。共同墓地だから、常に誰か来てくれて、お線香が香り、お花も絶やさず置かれています。建物の中のお墓だから、風雪にさらされることもない。お大師様が見守る共同墓地で、2人はこれで、北海道の土になるのだ。
お経が終わると、住職さんは「では後ほど墓地に埋葬します」と言って、それで終わりだった。
「僕はこれで帰るから」「じゃ、私は駅前からバスで札幌に」「それじゃあ」と弟は去っていった。
私は独りでアーニスというスーパーにいき、2階の食堂で前から食べたかった「閻魔焼きそば」を食べた。登別温泉には地獄谷という硫黄泉が湧く谷があり、地獄だから閻魔様もいる、ということで、ピリ辛の焼きそばは「閻魔焼きそば」というネーミングだった。美味しかった。

アーニスには、日本製の服ばかりの高級ブティックがあり、母はよくそこで服を買っていて「私、日本製の服しか着ないの。安物の服は嫌い」と威張っていた。
高価な服も使わなければゴミになるし、人はあの世に何も持っていけない。人との縁なんて、儚いものだ。
そう思いながら、野良猫へのお土産が菓子をスーパーで買っていた。