ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

札幌で2番目に早い桜と最初に見た梅の花、昭和のお歳暮のタオル

 

 本日、札幌で2番目に早く咲く、中央区の札幌シャンテというビルの前の桜を見てきました。

 途中、地下鉄通りに面した喫茶店の庭に、梅の花が咲いているのが見えた。

 中央区の札幌シャンテの前の桜は、ビルのガラスに反射する太陽光で、早く咲くそうです。満開に近いピンクの桜で、綺麗だった。エゾヤマザクラだそうです。

 

 先日、野良猫が実家にある使わない品物を整理し、まずは昭和の頃にお歳暮などで商店からもらった古いタオルを持ち帰った。日本製の品質の良いものは洗って保管し、それ以外は切って縫い合わせ、雑巾にした。

 昔は、銀行やよく買い物をするお店から、粗品?寸志?で店名入りのタオルをもらったらしい。田中燃料店、白い恋人石屋製菓、二条市場の名前入りのタオルを見て、野良猫は、「東区の田中燃料店は50年前からあるよ。まだ営業しているんだ。昔はそこから灯油を買ったんだよ」と説明した。

 

 

日本ハムファイターズの観戦@エスコンフィールド

 本日、北広島市エスコンフィールドにて、日本ハムファイターズソフトバンクホークスの試合をみました。野良猫が姪から入場券をプレゼントしてもらった。

 エスコンに行くのは初めてで、野良猫は15時に到着すると、まだ入れなかった。近隣をぶらつき、ファイターズのマスコットキャラクターと写真を撮影した。

 16時少し前に入場してから、私たちは球場の中の売店やレストランを見て回った。売店で、記念に、ジンギスカン鍋の形のキーホルダーを買った。

 それから、「金獅子精肉店」というお店でステーキお弁当を買った。美味しかった。

 やがて、試合が始まった。私たちは一塁側に座っているので、ホークスの応援団が見えて、トランペットや太鼓の音が聞こえてきた。ホークス応援団のトランペットはすごく上手だし、応援の声も揃っていた。

 ファイターズのチアガールの人たちのダンスが可愛かった。

 ホークスはいきなり1点先制し、私たちの周囲のファイターズファンは失意の「ああ」と声をもらした。「ホークスに1点取られたよ」「でも、スミ1になるかも知れない」

 見ていると、ファイターズファンは、もの静かで、点を取られても、ヤジを飛ばすわけでもなく、静かに座っている。ファイターズの攻撃になると、選手の名前が書かれたタオル?か垂れ幕を手に応援する人やら、応援用の筒2本を叩く人もいたが、それでも控えめな感じだった。ホークスの選手にヒットを打たれると、小さな声で「何やってんだよ」とつぶやく程度だった。

「ファイターズファンはやっぱり控えめだな。読売ジャイアンツのドームでの応援は、オレンジのシャツを着てないと、疎外感あるくらいだ」と元ジャイアンツファンの野良猫が語る。

 しかし、ファイターズは、3回裏の攻撃で一気に3点とり、みんな拍手し、明るい雰囲気になった。客席の人たちが嬉しそうだったので、自分も明るい気持ちになった。

 結局、ファイターズが勝った。エスコンはスタッフも親切で感じが良かった。

桜咲く前に夏が来た、中央図書館のカレーライス、千秋庵のソフトクリーム

 天気が良かったので、南22条の中央図書館まで歩きました。北大植物園では何の木かわからないが、新緑になりかけの木があった。

 お庭に一面にクロッカスを植えたお宅があった。写真撮影を許可していただきました。

 札幌は20度越えの気温、桜も咲いてないし藻岩山には雪が残っているのに夏が来た。

 図書館にたどり着き、まずは地下の「図書苑」という食堂で、私は450円のカレー、野良猫は560円のカツカレーを注文した。空腹だったので、美味しかった。「美味しい。カツもカラッとして」地下だけど、窓から景色も見えた。

 図書室を見てから、電車で大通りまで戻った。緑の電車は、世田谷線の昔のピーマン電車を思い出させた。

 

 野良猫に千秋庵のソフトクリームを奢った。

クロッカス17字、札幌で(北海道で?)いちばん早い桜

純白は崇高な色クロッカス

朧夜や万引き注意と指曲げる

残雪や汚れて生きるそれも良し

 

 札幌市の宮の沢駅6番出口脇の小川のそばに、道内でもっとも早く咲く桜があるということで、建物の通風孔から暖気が出るため、通常より2週間ほど早い桜を見に行きました。

 北24条から琴似を通って宮の沢まで歩いた。途中、白や紫の綺麗な花が咲く場所があった。クロッカスだと思った。

 宮の沢の桜は、建物の壁面の、暖かい空気が流れる通風孔の真下に2つ3つ、咲いていた。私たち以外にも写真を撮っている女性がいて、春を待ち望む人が他にもいるんだ、と思った。

 それから、宮の沢の西友の地下にあるマックでコーヒーと軽食をとって、少し休んだ。帰りは宮の沢から麻生までバスに乗り、麻生から北24条まで歩いた。

 札幌では、桜は例年では5月はじめだが、今年は割と早く今月23日、見頃は26日だそうです。

 

 

ふきのとう17字、PSYCHIC FEVER from EXILE TRIBE ライブ@サッポロファクトリー、千秋庵の巴里銅鑼

一見さん踵を返す春の夜

ぶらんこや頂白き手稲山

啄木の下宿跡なりふきのとう 

 

 本日、サッポロファクトリーにて、PSYCHIC FEVER from EXILE TRIBE というグループのライブがありました。「Love Fire」という曲がなかなか良かった。

 今日は暖かく、雪解けもかなり進んで、道端にふきのとうが顔を出していた。雪が解けた公園で、お子さんがぶらんこで遊んでいた。

 でも、手稲山にはまだ雪が残っている。野良猫のママは、「手稲山に雪あるうちは、朝晩ストーブが必要」と言っていた。

 北24条に、「一見さんお断り」の蕎麦居酒屋があるのを発見した。京都にそういう店があるのは知っていたが、こんなところにもあるんだな。

 野良猫は、千秋庵の「巴里銅鑼」の期間限定のさくらを食べたいと言って、先日、麻生のイオン(旧ダイエー)に行った。巴里銅鑼とは、生クリームが入ったどら焼きで、千秋庵の人気商品だった。美味しかった。

第二十回落語と南京玉すだれの会@札幌サンプラザ

 室蘭落語長屋主宰のアマチュア落語家の寄席が、サンプラザ札幌でありました。木戸銭500円払うと、20回記念で紅白まんじゅうがもらえて、野良猫は微笑む。

 落語は、アマチュアとプロの差がすごく有り、野良猫はつまらないと露骨に居眠りするが、今日は、関西訛りの「ほっけ家どすこい」(竹中達哉)という人の「時蕎麦」ならぬ「時うどん」が秀逸で、すごく笑った。柔らかな関西弁が毒があり、才能ある人だった。能を習ったことがあり、美しい声で「高砂」を披露してくださいました。

 会主の山笑亭小粒(芝垣美男)という方が、長生きの秘訣を講釈した。何でも食べる、好奇心を持つ、異性へのときめきを忘れず身ぎれいにする、ということでした。

 南京玉すだれの披露もありました。

 

 

西尾幹二氏への手紙、人は結局見かけによる

 2008年に雑誌に載り、2012年に出版された西尾幹二氏の「皇太子さまへの御忠言」は、男児に恵まれず体調不良を抱えた雅子妃殿下(当時)と愛子さまを守る皇太子さまを辛辣に批判する内容で、出版された当時は、西尾幹二への怒りや悔しい気持ちがありました。当時の皇太子殿下が天皇陛下になり、一家揃って、息女の敬宮愛子内親王も敬愛されるこんにち、彼はどう思っているのでしょうか。

 彼が生きているうちに、どうせ届きはしないし、答えもないと思うが、彼への手紙というか、本の感想を書きたいと思います。

 

 昭和の頃から、浩宮徳仁親王(今上陛下)が若いが誠実で立派な方だと伝え聞き、週刊誌の写真でも賢そうで凛々しく見えました。1993年、才色兼備のほまれ高い小和田雅子氏と結婚、2001年、敬宮愛子内親王が誕生しました。

 が、秋篠宮さまに男児が誕生してからの2008年以降、西尾幹二はじめ保守の論客が、「皇太子さまへの御忠言」(西尾幹二)、「皇太子さま、ご退位なさいませ」(山折哲雄)など廃太子論がオピニオン雑誌に踊った。

 山折哲雄の論調は、体調不良で公務できない皇太子妃殿下を守る当時の皇太子(現天皇)を「近代」人であるとし、天皇にふさわしくないということでした。家族を守るのは、古代人だろうが誰でもが行う普遍的なことだし、家族への愛ゆえすべきことをしなかったわけではない。

 また、こんにちでは、雅子さまの体調不良の影には、雅子さまを排除したい流れがあったと考えられております。

 それらの雑誌を本屋で見た私は愕然とし、西尾幹二らに対する怒りを感じ、皇太子さま一家へのマスコミのバッシングがあることを悲しいと思いました。

 皇太子さま一家は会ったことはありませんが、テレビでたまに映るお姿は、普通に優しく誠実そうでたいへん好感があったからです。秋篠宮さまについては、若い時のネックレスをつけた写真で、自由人に見えました。

 男児が生まれた秋篠宮さまは、マスコミにたいへん、持ち上げられ、「皇位秋篠宮さまに譲れ」という論調でした。

 2016年、渡邉みどり氏の「プリンセスの育て方、美智子さまから眞子さま佳子さまへ」という本では、秋篠宮さまのお嬢様を賛美し、敬宮内親王は全く無視するものでした。(秋篠宮さまの御長女は現在一般人であり、次女の方は撮影時の年齢が分からず、未成年かも知れないので、念の為、表紙の写真からぼかしております)

 「妻の人格を否定する動きがある」と当時の皇太子発言は誰に向けてか、判りませんが、少なくとも、皇太子さまの人格も否定されたように見えました。

 しかし、2017年、秋篠宮さまの長女のお嬢様が婚約し、相手の青年のお母様の金銭トラブルがマスコミに取り上げられました。

 さらに、令和元年(2019)、皇太子殿下が即位して天皇陛下となり、海外の方々と親しく会話する場面が話題となり、また、成年を迎える敬宮愛子殿下はコロナ禍で高価なティアラを辞退、令和4年(2022)の成年のインタビューの印象も良く、愛子さま天皇論が沸き起こるなか、同時期に、秋篠宮さまのご長男が受賞した作文が物議を醸しました。

 西尾幹二の「皇太子さまへの御忠言」は、同級生からいじめを受け、数日学校を休んだ愛子さまが復学した際に付き添った雅子さまを批判し、お二人に何らかの問題があるとしか思えない、また、皇太子さまは単なるマイホームパパと論じ、悠仁さまをお茶の水女子大学附属小に進学された秋篠宮さまをたいへん賢明とほめたたえる内容です。

 私は、天皇とは、日本人の総本家的な存在であり、天皇を抜きにして語れないのが日本の歴史であると思っております。今の時代は、天皇とはお飾りでも権利者でもなく、国民から敬愛されることで国民が結びつく、そういうものだと思います。

 西尾幹二は、2019年4月号のWILLで、秋篠宮さまの長女の婚約について、「遠くからしか見ていませんでしたが、秋篠宮家の眞子様は聡明で、お姫様として最高の人だと思っていました。だからこそ、今回の事件で衝撃を受けた。」と書きましたが、私は驚きませんでした。

 なぜなら、昭和の頃、礼宮さま(現秋篠宮さま)のお写真は、サングラスやネックレス、ラフな身なり、スナックでの談笑の写真でした。当時は良家の子女は、シンプルでオーソドックスな身なりをするものでした。また、長女のお嬢様と現夫の男性は2016年、電車のドアの前で親密に立つ姿がすでに写真に撮られておりました。

 西尾幹二は、「天皇は国民共同体の中心」と書いており、私も、天皇は歴史の中心だったとは思いますが、いくら歴史観を並べても、昭和の頃からみた礼宮さまのネックレスやサングラス、またお嬢様のお写真から見受けられるものは、語る歴史観と比べられない軽さでした。ですが、結局、ファッションは個人の自由。

 庶民であっても、「自分は家の後継ぎだから離れた地域の人と結婚できない」「親が公務員だから、素行の悪い人とのお付き合いはできない」という縛りは、漠然と有って、少なくとも私個人にはありました。自由恋愛と言っても、枠のなかで自由なのです。

 普通はその枠のなかで結婚し、たぶん、皇族の方もそうでしょう。身分が高ければ、もっと枠は厳しいかもしれません。

 その枠から外れた人と結婚したら、枠はそもそも無かったか。有ってもそれを超える愛と幸せがあるのでしょう。有ると思えば有るし、無いと思えば無いのが枠です。そして、誰と結婚しようが自由と法律は定めます。

 西尾幹二に言いたいのは、親が子供を思う自然な愛や、雅子さまの学歴、ハイヒールなどのファッションセンス、どれもこれもまっとうに勉強し努力して得た成果について貶したか、悪いことをしていない善良な人間や、小学生時代の未成年の内親王を、なぜ、悪しざまに罵ったか、今はどう思うか、あなたは今まで何を見てきたのか、死ぬ前に語るべきで、それこそが、知的誠実なんだ、ということです。まあ、「歴史が私を裏切った」とか抽象的なことを言いそうですね。

 私は、天皇崇拝ではないし、会ったこともないが、映像や音声で服装や表情、姿勢の良さや、笑顔が自然で目も笑っているところや、スポーツをやったり楽器を弾いてる姿から見て、天皇皇后は普通に優しく真面目で誠実、そして身なりも若い時からきちんとしていて、賢く知性的、性格に癖はないと思う。

 それと、声です。優しく明瞭な声で分かりやすく話す声です。理屈は人を騙すけど、声やしぐさは、意外と人を騙せないものです。でも、インテリは、けっこう理屈にだまされる。

 結局、人は見た目通りなのです。いくら、歴史観を語ろうが、見た通りが、すべてなのです。それなのに、西尾幹二は、いったい、何を見てきたのでしょうか。

 西尾幹二は哲学者だそうで、皇太子さま(現天皇)が天皇にふさわしくないと、あったかどうかも判らない歴史を引用して、グダグダ語りますが、礼宮さま(現秋篠宮さま)が、浩宮さまのように見た目も話すことも行動も素晴らしく誠実、真面目だったら、こんなにグダグダ書かなくても、人は、納得するのです。あんな文章、50年以上見てきて報道もされたビジュアルの前には何の意味もありません。

 私は個人的には、究極は、天皇制がなくても人間は昨日と変わらず生きると思います。が、あれば、その生き方や振る舞いは規範になるし、「令和の時代はこういう文化」という指針にもなる。ましてや、真摯に誠実に生きる人が今の天皇なので、できれば、失うのはもったいない。

 私は、普通に優しい善良な人間を悪しざまに罵ることを学問とは思わない。これで、私の平成のわだかまりが終わりました。