ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

あなたには不要な音楽、私を排除する音楽

 山下達郎さんが所属する会社で契約していた音楽プロデューサーの松尾潔さんが、ジャニーズ事務所前社長の問題について提言したところ、松尾さんは契約解除になり、その経緯について山下さんがラジオで意見を述べたそうで、彼は「私の言動がジャニーさんへのそんたくと思う人には私の音楽は必要ないでしょう」と言った。

 喜多川さんがしたことは、私は今まではよく知りませんでしたが、BBC放送の告発、それに続く被害者男性たち複数の告発で知るところとなり、未成年者に対しての加害はあってはならないと思った。

 山下達郎さんは、ラジオで、「今回、松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であったことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません」とおっしゃいましたが、

 20代から70代までの男性が、必死の思いで時には涙ながらに被害を訴え、しかもこの中には売名などあり得ないジャニーズ以外の高名な音楽家までいて、しかも手口が全部共通なので、録音や画像は無いけど、性的加害があったのは疑えません。

 山下さんは、かつて、紅白歌合戦にAIの美空ひばりさんに歌を歌わせ、「あなたをずっと見ていました」と言わせた企画で、「死者に対する冒涜」と発言しましたが、私は、当時それを見て、本当に感動し、遺族の方が号泣する場面をみて私もテレビの前で泣いた。息子さんは早くにお母様を亡くして、でも頑張って生きてきたのだろう、と母を思う子供の姿は涙があふれた。

 AIの音声もとても精巧で、そもそも、ボーカロイドとは、能みたいなもの、命のない物体である能面が、角度によって生きた顔に見えるように、機械の音声があたかも生きた人間の声のように感動する時もあると思った。

 それを冒涜と言い切る山下達郎さんは、ずいぶん、気性の激しい方なのだと思いましたが、まあ、考えは人それぞれだし、と私は思いました。山下さんがビジネスで誰とどうしようと、それは言及はしません。

 ただ、「こういう人には僕の音楽は必要ないでしょう」というご発言で、私が思うのは、

 頭おかしいと思われそうですが、「自分が山下さんの音楽を必要ない」のではなく、むしろ逆で、山下達郎さんの歌の世界が、私を拒んでいる、いや、シティポップ?渋谷系?などの都会的でおしゃれな世界はだいたい、私をあまり受け入れてない、という感じが、以前から、私にはあった。

 山下達郎さんは卓抜した透明感ある歌唱力で、天才です。80年代のブラックコンテンポラリーを下敷きにしながら、日本の高度経済成長やバブル時代、人々が急速に豊かになり、海外文化に馴染み、ブランド物を手にする時代に、なんとなくクリスタルな都会的で現実感の希薄なおしゃれなサウンドを構築し、

 その隙のない都会的サウンドに、わたしが立てる余地はないと感じさせた。あの、透明感ある、都会の夜を彩る熱帯魚たちの世界に、私が立ったらいけないのだ、と。喜多川さんの問題が明るみに出るずっと以前から。

 山下さんの言動により彼の音楽が「私には必要ない」と思うより、むしろ、彼の音楽のほうが私を必要としていないと私はずっと感じて、それが一方的なものではなく、制作者も「こういう人には必要ない」と言える哲学があり、それを感じ取れた自分の感性を、誉めていいのか、いや、都会的おしゃれなサウンドについていけない自分の物質的貧困や田舎臭さを恥じるべきか。

 世界を二つに分けて、入っていける世界、そうではない世界と色分けするのは、正しいかどうかよりは、処世術であり、それはたぶん、お互いさまなのだろう。

 私には高度経済成長やバブルの繁栄などは縁がなかった。ずっと底辺にいた気がする。