ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

東京から札幌に帰る決意、札幌北区のUR物件を見つける

 5月に北海道の実家に帰ってからいろいろ考えましたが、親も高齢になり、弟妹に任せきりにするのは良くないと考え、コロナも終わったことだし、24年ぶりに北海道札幌に戻ることにしました。

 たまたま、北24条に安いUR物件があり、仮押さえしたら、野良猫は、「いずれは札幌に帰るつもりだけど、まだ仕事もあるし、時期が早すぎる。札幌には仕事がないから、急いで帰らなくてもいいんじゃないか。俺は無職になっちゃう。今回は見送ったらどうだろう。新しい部屋と新しい仕事が同時に見つかるのが理想なんだけど」といったん、難色を示した。

 しかし、担当の人が、「この物件は、窓に耐震用の鉄骨ブレースがない部屋ですから、なかなか空きませんよ。鉄骨ブレースがある部屋ならわりと空きが出るんですが」と言われて、鉄骨ブレースがある部屋ってどんなだろう、とネットで検索し、「これはちょっと」と野良猫と二人で顔を見合わせた。

 私は少し考えて、

「第一に、(野良猫の)お父さんやお母さんは高年齢で、買い物や病院の付き添いなどは(彼の妹の)A子さんがやっているが、甥のB男さんは結婚を控えて、この先、A子さんの孫が生まれたら、A子さんは介護と孫の世話を同時にすることになり、負担が大きくなり、それは申し訳ない。第二に、お父さんたちが少しでも元気なうちに、一緒に過ごしていろいろ話がしたい。

 第三には、私たちは、今は都内の安い公社住宅にいて、あと数年は今の仕事ができるが、住宅は10年後には建て替えも予想されて、仕事は3年後までの契約で、その先がわからない。東京にずっと住み続けたら、私たちは、おそらく、板橋区の都営住宅で孤立して、寂しい老後になるよ。

 第四に、今までコロナで三年間も身動きできなかったが、これからも、いつ新しいウィルスが出てくるか分からない。今ならコロナが終わったから札幌に戻れる。第五には、今押さえている北24条の部屋は、鉄骨ブレースがないけど、これを逃したらたぶん、もう、そういう部屋は出てこないと思う。鉄骨ブレースがあったら暗いし圧迫感あるし、ベランダに出にくいよ。

 第六に、私たちに子供がいないから、将来は老人ホームに入るとして、その書類だってB男さんたちに頼むしかないし、死んだらお墓に入れてもらうとして、親の介護をA子さんに任せ、孫の世話と両立して忙しい思いをさせたのに、最後には始末を依頼する私たちは、甥のB男さんや姪のC子さんには、どう映るだろうか。

 若い時ならともかく、お父さんたちが年をとった今、ここ数年のあいだは、私たちが東京で稼げたのは、A子さんがお父さんたちを見ていてくれるからでしょう。みんなのために頑張って、育児も介護もやってきて彼女はフルタイムで働く機会もない。だったら今まで東京て働いてきた私たちは、少なくとも年金は払い終えたのだから、札幌でお父さんのそばにいるべきだ。無職になっても年金出るまで貯金で暮らせばいい。自分の都合ばかり考えたら、いけないよ。

 今帰れば、『今まで介護を一人に任せて申し訳ないと思いながらも、仕事もあったし、コロナで三年間動けなくて、どうしようもなかったが、コロナが終わったタイミングで帰ることができた』と言える。この六つの理由で、なるべく早く帰って、お父さんたちに会って、みんなで介護や手伝いなどを協力すべきだと思う」

「確かにそうだな。そこまで考えているの、、、じゃあ、この物件に決めよう。なるべく早く札幌に帰ろう」

 東京はとても楽しかったし、安く遊べる楽しい場所を見つけて、自分なりにソサエティを構築したとは思うが、これからは、高齢になった親や弟妹との時間を作り、家族を大事にしなくては。

 私は、東京に来てから、年に二回くらい、父の実家の墓参りに行ったり、自治会で家族のように助け合う声の掛け合いなどもして、その場は楽しかったし、なるべく誠実に向き合ったが、それがよりどころになる人間関係には、発展しなかった。

 野良猫は親に「仕事切り上げて帰るね」と電話で話し、「北24条は便利だから良かったら」と親も安心したようだった。

 また、昔の友達に「札幌に帰るから」と報告すると、「北24条?いいね。また飲みに行こう」と野良猫にお誘いがある。

 私の母は「札幌に戻るの?東京を引き払ってこっちに来るのね。良かった、良かった」と喜んでいた。