大山文化会館で、「いたばし社会福祉大会」があり、熟年女は、「コール民生」という合唱団の歌声を聴いた。
昔懐かしい「若者たち」の歌声がホールに響く。
熟年女は、中学の時の合唱練習で歌った。何年か前、森山直太朗さんがカバーしたことを思い出す。
熟年女は、中学時代、この歌が、すごくうさんくさい内容だと思った。
果てしなく遠い道を、あてもなく、恋人もすでにいないのに歯をくいしばり歩く若者が、理解できなかった。
子供だった熟年女は、歌に描かれる、「理想を目指す青年像」に対して、うさんくささを感じた。ベートーベンの「運命」にも、運命に立ち向かう人間の姿が曲から感じたが、それは崇高なのに、この歌にはそれを感じないのは、歌詞という言葉のせいか?
それとも、歌声喫茶とか、「さあみんなで理想の社会に向かって」のような労働組合的な雰囲気を感じたせいか?
若者が歩く道は希望へと続くらしいが「希望」って何なの、よく訳のわからないものを探して歩くなんて、騙されているんじゃないか、という感じ。熟年女は明るい未来など信じてなかった。
あれから50年。
今さら次郎だけど、希望を持てば明るい気持ちになれるから、やっぱり何かしら希望を持ちたい。
認知症予防や血糖値下げたいなどの希望を持って、空にまた日が昇る時、熟年女は歩き続ける。
歩いた先に希望があるというより、希望とは歩くことそのものだった。別に、具体的な何かを見つけることではなく、歩いてさえいれば、何かしら得られるし、それで良かった。やはり、素晴らしい歌なのだと思う熟年女だった。
若者たち
君の行く道は果てしなく遠い
だのになぜ歯をくいしばり君は行くのか
そんなにしてまで
君のあの人は今はもういない
だのになぜ何をさがして君は行くのか
あてもないのに
君の行く道は希望へと続く
空にまた日が昇る時若者はまた
歩き続ける