ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

森高千里さんの「渡良瀬橋」とひめたまの世界を歩く

 かつて、森高千里さんが「渡良瀬橋」で歌った足利市を訪問しました。それとは別に、足利市では町興しに「ひめたま」というアニメキャラを作っており、「織姫神社のひめちゃん」「門田稲荷のたまちゃん」だそうで、織姫神社で良縁を結び、門田稲荷で悪縁切りで、セットなのだそうです。

 まずは、東武伊勢崎線野州山辺で降りて、門田稲荷を訪問しました。「日本一の縁切」という看板が目に入る。年期の入ったキツネさんがいた。とりあえず、病気や不幸と縁がないように、と願う。ここには、アニメキャラのものはなかった。

 境内の絵馬には「モラハラの上司がいなくなりますように」など、人間関係に悩む人の文字が目に飛び込む。恨みや悲しみなどの感情が読み取れた。

 少し歩いて、川向こうの「八雲神社」に行った。ここは、森高千里さんの歌の「今でも八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ 願い事ひとつ叶うならあの頃に戻りたい」と歌われた神社です。

 森高千里さんの「渡良瀬橋」は、地元を離れて暮らすことができない女性と、電車にゆられこの街まで会いに来た青年との、つかの間の恋を歌ったもので、青年は、渡良瀬橋で見る夕日が好きで、「綺麗なとこで育ったね。ここで住みたい」と言ったが、青年もまたこの街で暮らすことはできない。

 地元を離れて暮らすことができない女性は、地主や農家、地元の会社などの跡継ぎなのか。青年もまた、他の街で家業を継ぐ運命の人なのか。家や土地を離れられない二人の短い恋を、渡良瀬橋の美しい夕日や風光明媚な景色が彩る。

 歌の世界の女性は、なんども悩んだが、やはり、恋よりこの街で生きることを選ぶというか、そうせざるを得ないのだろう。 八雲神社には、道祖神の石像があった。寄り添う男女の神様が可愛らしかった。

 神社の由緒を書いた札にも、森高千里さんの「渡良瀬橋」が記されていた。

 それから、八雲神社の先の交差点沿いにある「床屋の脇にポツンとある公衆電話」ボックスを見てきました。「きのう思わずかけたくて何度も受話器とったの」と歌われた時代、携帯電話もスマホもなく、家族に聞かれたくない話は、公衆電話でかけるしかありませんでした。

 電話ボックスの写真を撮っていると、床屋のご主人がでてきて、今日は仕事は休みだけど、店内に森高千里さんの写真やポスターがある、と招いてくれました。今でもファンの人が訪問するそうです。

 ご主人は、「足利市出身の売野雅勇という作詞家が、渡良瀬橋を聴いて、熊本県出身の森高千里さんがあの歌を作詞したのに、地元出身の俺はどうして作らなかったのか、先を越されたと悔しがった。森高千里さんはビートルズが好きで、この店の前の交差点がアビー・ロードみたいだと思い、この場所を歌詞に読み込んだ。森高千里さんは、八雲神社だけではなく、織姫神社も訪問していた。八雲神社が火事で古い社殿が焼失した時に新しい社殿を建てるお金を森高千里さんも寄付してくれた」などの裏話を聞かせてくれた。

 続いて、森高千里さんも訪問し、縁結びの「ひめたま」のひめちゃんの「織姫神社」を訪問しました。小山の上にあり、汗をかき、息を切らして階段を登った先に、朱塗りの神社があり、高台なので、街の景色が見えた。ここは縁結びということで、門田稲荷よりも明るい雰囲気だった。が、人生は、縁結びと縁切りがあって回るのだろう。

 恋人の鐘がありました。

 神社の階段を降りて「プラザハマダ」で「渡良瀬クッキー」を買った。マントに学生服の青年と着物姿の娘さんが見つめ合う図柄の箱のクッキーだった。

 

 カフェがあったので、アイスミルクティーを飲みながら休憩した。

森高千里さんの歌碑はここから遠いですか」と質問すると、場所を説明してくれました。店内には、ひめたまのグッズも置かれ、町興しを担っているのだと分かった。

 カフェをでて、渡良瀬橋のほうまで歩くと、歌碑が見えた。ボタンを押すと、森高千里さんの歌声が聞こえた。

 夕日は見れなかったけど、渡良瀬橋からの景色は綺麗で素朴だった。