ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

統一教会、ふと思い出す三島由紀夫

レッドパージ!!!     P.I.N.A

 安倍晋三元首相銃撃事件はとてもショックでしたが、自民党(に限らず野党も)が反社会的カルト宗教団体の統一教会(世界平和統一家庭連合)と癒着しており、教団名の変更やイベントに祝辞やビデオメッセージ、献金選挙協力にからんでいたことは、さらに、衝撃でした。

 

 教団名変更で、取り沙汰される人は、地元のお祭りで見かける人で、コロナが流行る前、振る舞われたお祭りの甘酒を飲みながら、野良猫は「あの先生に握手してもらった」と笑顔だった。

 

 30年ほど前、札幌の街で、若い清楚な綺麗な女性に「アンケートに協力を」「悩んでいることがあれば力になりたいんです」と声をかけられ、足を止めると、「ちょっとこちらでゆっくり話をしませんか」とビルの中に誘われたので、あわてて逃げたことがあります。田舎から札幌に出て働いて、当時は生活も苦しく孤独でしたが、カルト宗教に誘われたら、いろいろ買わされて危険だという知識はありました。

 でも、綺麗な優しそうな女性と、もう少し話をしたい気持ちを、必死でこらえる寂しい自分がいた。

 当時、オウム真理教など、カルト宗教が盛んでした。息子がオウムに入団して、北海道の田舎から札幌に出て探している女性なども、会話したことがあります。

 おかしげな、壺を高く売る霊感商法や集団結婚式など、危ないカルト宗教だと思っていましたが、日本人信者からの高額なお布施が、韓国の本部に流れていることを、今回、初めて知りました。

 1950年代、ソ連の侵略から日本を守るため反共集団として、自民党統一教会が連帯した、という歴史も初めて知りました。

 

 しかし、この集団は、表向きは、反共という理念を掲げ、自民党と連帯しながらも、裏では北朝鮮や他のところとも「商売」していたんじゃないですか?今現在、日本人を食い物にしている集団がかつては「反共産党」なんて理念を掲げていても、それは表看板で、日本の現状が筒抜けになったり、献金が韓国に運ばれたり、日本人は、ずっと騙されてきたのでは?日韓併合など、歴史的な屈折もあるし、反共産だけで、連帯なんて、無理なんじゃ?

 竹島はいつまで経っても戻らない。防衛大臣統一教会と癒着していたら、戻るはずもありません。国防は大事なことなので、自衛隊憲法で認められる正規な軍隊になることは必要ですが、これでは、シロアリを放置したまま、家の外側を工事するようなものです。

 竹島はともかく、北朝鮮に拉致された人たちも戻らない人が多数いらっしゃいますが、こんな集団がいたら、そういう犯行も行いやすいとかあるのでは?「統一教会」の統一は、まさか、南北朝鮮の統一じゃないよね。

 理念とか理屈はうわべだけで、本当は、日本で「お商売」し、洗脳して、日本人の財産を韓国の本部に流していたんだと思います。政治家は分かっていても、組織票は欲しいし選挙協力も助かるし。

 日本人の財産がカルト宗教の韓国本部に流れているというのは、ただただガックリな話ですが、

 銃撃はあってはならないが、それとは別の世界で、家族がカルト宗教にはまり、悩み苦しむ人が、水面下で、多数いらっしゃることを、改めて再認識しました。 

 しかし、組織票で選挙が決定されるということは、投票率が低い、50%しかないからで、国民の無関心や「誰に投票しても変わらない」という諦めも、あるのでしょう。日本人は、もっと選挙に行くべきですが、強制できません。

 銃撃された元首相は、笑顔が明るく、上品な物腰、育ちの良さそうな雰囲気、声が美しくよく通り、演説が上手で、カリスマ性もあり、聴衆を魅了した人でした。

 

 山上徹也容疑者なる加害者男性は、 頭は良いが、家族の入信で家庭崩壊、就職氷河期で苦労したようです。

 人のブログのコメント欄に 「我、一命を賭して全ての統一教会に関わる者の解放者とならん」 と書いた一文は、私には、三島由紀夫(には失礼か)の「思想を守るには命を賭けねばならぬということに知識人たちがやっと気づいたのは云々」などの文章を連想させた。

 三島由紀夫は、「現代日本では、あらゆる言葉が軽くなり、偽善が染み込む。ピクルスに酢が染み込むように」と語る。

 そもそも、言葉とは、(自分を含めた)誰かに伝えるものですが、言葉の力で人を洗脳、マインドコントロールできる反面、何を語ろうが、相手が無視すればそれきりで、伝わらないのです。

 だとすれば、言論の力には限界があるのです。もしかしたら、相手が無視すれば伝わらない言論より、(あるいは、死に票になりがちな選挙の一票より)銃の一弾のほうが、現実を変える力がある、そんな事象もあるのでしょう。 

 容疑者男性は、元首相が当事者ではなくシンパに過ぎないと分かった上で、(反社会的)宗教が政治に癒着し、のさばることを告発するため、不本意ながらも、行為に及んだと思いますが、被害者団体の弁護士たちが手紙を書いても動かなかった事態は、この件で動き、統一教会の内情も知らされました。

 

 この事件が起きる以前から、野良猫は、政治家に汚職などの問題が報じられると、「日本は安全な国だから、政治家は、暗殺される危険がないから言葉に責任持たなくても済むよな」と言っていた。それに対してわたしは、「政治家だけが悪いわけじゃないよ。国民は、投票率が低くて、政治に無関心な人が多いから、政治家だって言葉に責任を持たなくなるよ。国民の無関心と政治家の無責任は、セットなんじゃない?」と言った。命を賭けずに、のほほんと、語るだけの政治談義は、空しく消えて、現実社会を変える力はなかった(現実社会のほうでも、掃除のオバサンごときに命を賭けられても困るし)。

 とはいえ、あんな事件なんて、銃のない日本で起きるとは思いませんでした。

 だからこそ、あの先生とお祭りで握手できたのでした。あのお祭りの日は楽しかったな。