緑内障になって以来、本を読まなくなったが、どうしても手元に置きたい本が数冊あり、「安井かずみがいた時代」もそのひとつです。
沢田研二はじめ、たくさんの歌手に詞を提供した作詞家の安井かずみさんは、裕福な家庭の子女で、デザイナーのイナバヨシエはじめ、画家やジャーナリストなど、才能ある人たちとも交流を持ち、日本人がまだ海外渡航しなかった時代、パリやニューヨークなどで文化を吸収したすごい女性でした。
六本木のキャンティという有名なイタリア料理店での、芸能人たちとの華やかな交流、海外に行くときは、ヴィトンのバッグで統一し、おしゃれで目を引き、シャネルのスーツなどが似合ったそうです。
彼女は、日本の女性の地位が低かった時代、自分の手で稼ぎ、おしゃれを楽しむ時代の先端を行くファッションリーダーだった。そして、そういう人のために、ヨシエイナバなどの仕立ての良いブランドがあったそうです。
旦那様の加藤和彦氏も才能ある作曲家で、フォークソングを確立した人の一人で、アニソンや歌舞伎音楽までも進出した鬼才、この二人が共同で歌をつくり、それが売れて、
二人の結婚生活は、家でもおしゃれで、食事には高級ワインを、あか抜けたものらしい。
しかし、安井かずみさんは、1994年に病死、御主人の加藤和彦氏は寂しさ故、別の人と再婚するが、うまく行かず、「作りたい音楽がない」と言い残し2009年に自殺なさった。
魂のパートナーはやはり、安井さんであり、加藤さんは最終的に、安井さんのところに行ったと想像された。
この人の描く詞の世界は、男女の架空のロマンなのだが、夢があり、それが、高度経済成長の日本を象徴している気がします。
この本は、私にとっては、音楽の資料であり、「夢の世界」でもあります。
日本に、おしゃれな洋食文化を持ち込み、作家や文化人が集まる何万もする六本木のレストラン、その店の奥には、常連さんのブースがあり、芸能人が笑いさざめく、
シャネルの店で、ラックの端から端まで服を買う、
バリバリと歌詞を書いて、それが売れるなんて、想像もつかない。
私にとっては、夢、それも上質の夢の世界ですが、時々本を読んだり、YouTubeで彼女の作詞の歌を聴いたりして、夢に浸るのは楽しいが、それは、戻れる現実があるからです。
安井さんは、ビンボーは嫌い、と四畳半フォークを嫌ったそうですが、私自身は、ビンボーだからこそ、落ち着ける現実世界が心地よく、
だからこそ、安井かずみさんの伝記を読んで、「おお、すごい」と思う。
地球にいるからこそ、
「月ではこうだった、ああだった」と聴いて、ほう、そうか、と思う。
そしてまた、現実を生きる。
#安井かずみがいた時代