亡き父が生まれ育ち、自分も子供の頃に行った中野区大和町を訪問しました。
私は本籍地はずっと、父の生家のある中野区の番地でした。
だが、北海道の土となった父は、相続放棄をしており、何となく足が遠のいていた。
でも、父との思い出を少しでもかき集めたく、今日、歩いてみたのです。
父が卒業した小学校の近くにある文房具店は、今も健在だった。店に入ってノートを買うと、店の人は
「私で3代目です。創業してから75年経ってますが、頑張っていますよ」
父も子供のころ、ここに来たかも知れない。
八幡神社もかつて、父と来たが、昔より境内が小さい気がした。
さらに、大和公園にも行きました。ここの児童館にも父と行きました。
だが、建て替えたかも知れなくて、入口の位地が違っていた。
長靴下のピッピとか、赤毛のアンとかそんな本は、まだ、あるんだろうか。
消えそうな思い出だが、なんとかかき集め、写真も撮った。
父との記憶は、このあたりで、途切れる。
そのまま、野方駅まで行くと、かつてギターを教えてくれた山本大作先生といっしょに、音楽を語り合ったファミリーマートがあった。
ここのイートインで、コーヒーを飲みながら、山本先生は、ギター片手にアメリカを旅した経験を語ってくださった。
「アメリカの黒人ミュージシャンはすごいよ。抑圧や差別とたたかい、粗末な楽器でも、豊かな演奏をする」
世の中には、そんな人がいるんだなあ、と聞き入ったが、しばらくして、先生は、インフルエンザで帰らぬ人となった。
ショックだった。
しかし、誰が死のうと、街はいつも通り動いていた。