ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

竹村健一先生の思い出

 評論家の竹村健一氏の訃報を聞きました。

 1980年8月、竹村先生は、北海道登別市を訪れ、中欧公民館にて講演会を開き、
 まだ40代の高校教師だった父と、高校生だった私も、参加しました。

 調べてみると、竹村先生の講演会は、登別市が市制10周年ということで企画されたようです。
  
 テレビの時事番組に出ていた知識人である竹村先生の講演会には、田舎インテリ(教師やら学生やら)やらたくさんの人たちが集まっていて、
 講演会の内容ははっきり覚えてないが、ソ連(当時)に対しての国防や、この地域の防衛上の役割などを、地政学とかそんな言葉を挟み、語るものだった。当時は、ソ連不凍港を求めて、北海道を狙ってるなどの、言説をしばしば聞いていた。

 父は、熱心に聞いていた。
 講演が終わり、質疑応答の時間になると、父は、挙手して、緊張しながら、
「室蘭港は、天然の良港ですが、軍港としての役割は無理でしょうか。国防を考えると軍港にすべきと思うのですが」と質問し、
竹村先生は、その質問を受けて、
「今、室蘭港を軍港にすべきという意見がありましたが、室蘭は、、」
などと物資の運搬とかロジスティックスがどうとかを、室蘭にからめて語った。

 ああいう場での質問は、愚問であってはならず、相手の知識をさらに引き出すものでなければならないことは、非インテリの私にも理解できた。竹村先生みたいな知識人に、かなり核心に迫る質問ができた(ような気がする)ので、父の目が熱気を帯びるのが、分かった。

 父は、数年前に亡くなり、竹村先生も行ってしまった。
 でも、竹村先生から、美しい思い出を頂き、ありがとうございました。