東京以北最大の歓楽街札幌のススキノは、実は寺町でもあり、かつては遊女(花魁)や芸者さんもお参りし、檀家も集めて発展したといいます。
まずは、豊川稲荷札幌別院に行くと、娼妓と水子の供養碑が目に入る。華やかな歓楽街だが、働く遊女は病気も苦労もあり、つらい勤めだったと思います。七福神が並んでいて、出世したい人もいたのだろう。
私は、この世に「売春」というか、女性が身売りし、性的行為でお金を稼ぐ、という事象があることを知ったのは、小学6年の社会の授業でした。戦前の農村で冷害、凶作があり、借金に苦しむ貧しい農家の娘さんが家族のために、都市の遊廓に売られ、お勤めをする、と知って、衝撃を受けました。どんなに、つらいだろうと思った。
今は、貧しい農家の娘さんが家族のために身売り、ということはない(と思う)が、人にはいろいろ事情があって今でも風俗街がある。
それから、少し歩いて、中央寺というお寺に向かった。ここは、永平寺の末寺ということで、彫刻を施した山門が立派で、筋肉隆々の仁王様もいた。本州では珍しくないが、北海道ではあまり見かけなかった。
境内に、「水子地蔵堂」がありました。先ほど、豊川稲荷札幌別院で、娼妓と水子の供養碑を見ましたが、それは、歴史上の、学校で習った事象の悲劇だと感じた。しかし、ここでは、水子供養のお地蔵さんの傍らに、鬼滅の刃のキャラクターのぬいぐるみが置かれ、今も昔もつらい事情の人がいるのだと思った。
立派な鐘楼もあった。
中央寺の近くに、新善光寺があった。長野市の善光寺とは関係ないようですが、立派な寺だった。
それから、すぐ近くの豊水すすきの駅直結の交通局の建物の2階の交通局食堂で、カツ丼を食べた。「ここは穴場だわ。こんな食堂、今まで知らなかった」と野良猫は唸る。
食事のあと、「豊水荘」という昔の旅館らしき建物をながめた。
このあたりには、「川甚」という歴史ある料亭があり、今でも芸者さんを呼んで、踊りを見たりすることができるらしい。
永照寺の六地蔵とキティちゃんのコラボや、格言が書かれた看板を見た。コンクリートの近代的な建物のお寺だが、京都東山の永観堂の末寺のようだった。
成田山新勝寺の末寺である、新栄寺にも立ち寄り、お参りしてから休憩室で休んだ。本堂には誰でも入れてお参りできる。
「ススキノにこんなにお寺があるなんて知らなかった。新栄寺は立派で、なかなか格式が高いね」「豊川稲荷、永平寺、京都の永観堂、成田山新勝寺の末寺がここにあるから、それぞれのお寺を巡るのと同じご利益があるんじゃないかな」
先月写真を撮った「キングムー」というディスコの建物は、まだ解体されず、残っていた。「中の家具や使えるものを運び出しているんじゃないかな」
五條新町のアーケードのお店を見たり、風俗街を少し歩いた。
「エロい恋人」というお店を見た野良猫は、吹き出して笑った。
「道頓堀劇場」は、今は営業していないが、建物だけ残っていた。
ストリップ劇場で、かなり昔、一度だけ訪問したが、ストリップというより、むしろ、演劇に近いと思った。じっさい、観客は、少なからず女性がいた。
明治時代の北海道開拓は、厳しい気候で土地は荒れ地で、つらいものであり、ススキノに遊廓や歓楽街を作って、開拓民を北海道に居着かせ、開拓の意欲を失わせないようにしたとされます。遊廓は無くなったが、今でも、札幌の役場では、あれこれとイベントを企画し、市民を飽きさせないようにして、少しでも人を居着かせるように努力しているとは思う。