ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

世田谷区経堂を訪問、街は様変わり

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 1999~2002年まで住んでいた、世田谷区経堂付近を訪問しました。

 新宿から小田急線電車に乗ったが、以前は、東北沢のあたりで急行の待ち合わせで、遅いと思ったが、下北沢あたりで高架になったり整備が進んだせいか、電車はサクサク進んでゆく。

 あの頃、渋谷で遊んで、代々木八幡まで歩いて帰宅していた。

 20年前の自分なんて、他人と同じで、自分がそんなことをしていたなんて、信じられなかった。

 

 梅ヶ丘で降りて、よく通った図書館や羽根木公園の梅を眺めた。梅が満開で、綺麗だった。

 「止めてはダメ!」と猫さんが、爪を出して自転車を放置するなと叫ぶ、世田谷区独自の看板は、まだ健在だった。

 私は、この看板が、好きだった。

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 豪徳寺まで歩き、横目で世田谷線の電車を見ながら、常徳院の前を通って、経堂駅にたどり着いた。

 このお寺あたりも、よく散策した。美しく手入れされた境内に、垂れ梅が美しかった。

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 経堂駅から伸びるすずらん通りは、入口の靴屋は健在で、編んだ草履はなかったが、ゴム草履が吊るしてある。

 父が生きていたころ、この靴屋の編んだ草履を見て、「情緒があるね」なんて言っていた。くだらない、つまらないことだが、そんなことを覚えている。

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 だが、時々通った団子屋や八百屋などは、無くなっていた。

 ニュースズランの肉屋さんはまだあったが、建物はくたびれた感じだった。コロッケを買った。

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 以前はなかったが、今はマイバスケットなど、イオン系のスーパーが目についた。板橋区において、イオンは、安くて、品質もそこそこで、庶民の味方ですが、個人商店が多かった商店街では、時の流れを感じさせた。

 

 昔住んでいたマンションも、見た。家賃13万。もう、住みたくないというより、住めない。

 セコムしているような立派な一軒家が多い街だった。 

「あの店はまだある、ここの家具屋さんは無くなった」と記憶をたどりながら歩く道は、夢でも見ているようだった。

 

 そういえば、女性のピンク映画監督の浜野佐知という方(のちに一般映画も)が、経堂に、旦々社という会社を構え、かなり前に、建物だけ見たことがあったが、いま探したが、見つからなかった。

 

 帰りは、板橋区志村三丁目のシュルマに寄って、ママやお馴染みさんと語りながら、カレーを食べた。

 今、住んでいるところがいちばん良いし、今がいちばん幸せなのだと思う。