ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

ふきのとう17字、PSYCHIC FEVER from EXILE TRIBE ライブ@サッポロファクトリー、千秋庵の巴里銅鑼

一見さん踵を返す春の夜

ぶらんこや頂白き手稲山

啄木の下宿跡なりふきのとう 

 

 本日、サッポロファクトリーにて、PSYCHIC FEVER from EXILE TRIBE というグループのライブがありました。「Love Fire」という曲がなかなか良かった。

 今日は暖かく、雪解けもかなり進んで、道端にふきのとうが顔を出していた。雪が解けた公園で、お子さんがぶらんこで遊んでいた。

 でも、手稲山にはまだ雪が残っている。野良猫のママは、「手稲山に雪あるうちは、朝晩ストーブが必要」と言っていた。

 北24条に、「一見さんお断り」の蕎麦居酒屋があるのを発見した。京都にそういう店があるのは知っていたが、こんなところにもあるんだな。

 野良猫は、千秋庵の「巴里銅鑼」の期間限定のさくらを食べたいと言って、先日、麻生のイオン(旧ダイエー)に行った。巴里銅鑼とは、生クリームが入ったどら焼きで、千秋庵の人気商品だった。美味しかった。

第二十回落語と南京玉すだれの会@札幌サンプラザ

 室蘭落語長屋主宰のアマチュア落語家の寄席が、サンプラザ札幌でありました。木戸銭500円払うと、20回記念で紅白まんじゅうがもらえて、野良猫は微笑む。

 落語は、アマチュアとプロの差がすごく有り、野良猫はつまらないと露骨に居眠りするが、今日は、関西訛りの「ほっけ家どすこい」(竹中達哉)という人の「時蕎麦」ならぬ「時うどん」が秀逸で、すごく笑った。柔らかな関西弁が毒があり、才能ある人だった。能を習ったことがあり、美しい声で「高砂」を披露してくださいました。

 会主の山笑亭小粒(芝垣美男)という方が、長生きの秘訣を講釈した。何でも食べる、好奇心を持つ、異性へのときめきを忘れず身ぎれいにする、ということでした。

 南京玉すだれの披露もありました。

 

 

西尾幹二氏への手紙、人は結局見かけによる

 2008年に雑誌に載り、2012年に出版された西尾幹二氏の「皇太子さまへの御忠言」は、男児に恵まれず体調不良を抱えた雅子妃殿下(当時)と愛子さまを守る皇太子さまを辛辣に批判する内容で、出版された当時は、西尾幹二への怒りや悔しい気持ちがありました。当時の皇太子殿下が天皇陛下になり、一家揃って、息女の敬宮愛子内親王も敬愛されるこんにち、彼はどう思っているのでしょうか。

 彼が生きているうちに、どうせ届きはしないし、答えもないと思うが、彼への手紙というか、本の感想を書きたいと思います。

 

 昭和の頃から、浩宮徳仁親王(今上陛下)が若いが誠実で立派な方だと伝え聞き、週刊誌の写真でも賢そうで凛々しく見えました。1993年、才色兼備のほまれ高い小和田雅子氏と結婚、2001年、敬宮愛子内親王が誕生しました。

 が、秋篠宮さまに男児が誕生してからの2008年以降、西尾幹二はじめ保守の論客が、「皇太子さまへの御忠言」(西尾幹二)、「皇太子さま、ご退位なさいませ」(山折哲雄)など廃太子論がオピニオン雑誌に踊った。

 山折哲雄の論調は、体調不良で公務できない皇太子妃殿下を守る当時の皇太子(現天皇)を「近代」人であるとし、天皇にふさわしくないということでした。家族を守るのは、古代人だろうが誰でもが行う普遍的なことだし、家族への愛ゆえすべきことをしなかったわけではない。

 また、こんにちでは、雅子さまの体調不良の影には、雅子さまを排除したい流れがあったと考えられております。

 それらの雑誌を本屋で見た私は愕然とし、西尾幹二らに対する怒りを感じ、皇太子さま一家へのマスコミのバッシングがあることを悲しいと思いました。

 皇太子さま一家は会ったことはありませんが、テレビでたまに映るお姿は、普通に優しく誠実そうでたいへん好感があったからです。秋篠宮さまについては、若い時のネックレスをつけた写真で、自由人に見えました。

 男児が生まれた秋篠宮さまは、マスコミにたいへん、持ち上げられ、「皇位秋篠宮さまに譲れ」という論調でした。

 2016年、渡邉みどり氏の「プリンセスの育て方、美智子さまから眞子さま佳子さまへ」という本では、秋篠宮さまのお嬢様を賛美し、敬宮内親王は全く無視するものでした。(秋篠宮さまの御長女は現在一般人であり、次女の方は撮影時の年齢が分からず、未成年かも知れないので、念の為、表紙の写真からぼかしております)

 「妻の人格を否定する動きがある」と当時の皇太子発言は誰に向けてか、判りませんが、少なくとも、皇太子さまの人格も否定されたように見えました。

 しかし、2017年、秋篠宮さまの長女のお嬢様が婚約し、相手の青年のお母様の金銭トラブルがマスコミに取り上げられました。

 さらに、令和元年(2019)、皇太子殿下が即位して天皇陛下となり、海外の方々と親しく会話する場面が話題となり、また、成年を迎える敬宮愛子殿下はコロナ禍で高価なティアラを辞退、令和4年(2022)の成年のインタビューの印象も良く、愛子さま天皇論が沸き起こるなか、同時期に、秋篠宮さまのご長男が受賞した作文が物議を醸しました。

 西尾幹二の「皇太子さまへの御忠言」は、同級生からいじめを受け、数日学校を休んだ愛子さまが復学した際に付き添った雅子さまを批判し、お二人に何らかの問題があるとしか思えない、また、皇太子さまは単なるマイホームパパと論じ、悠仁さまをお茶の水女子大学附属小に進学された秋篠宮さまをたいへん賢明とほめたたえる内容です。

 私は、天皇とは、日本人の総本家的な存在であり、天皇を抜きにして語れないのが日本の歴史であると思っております。今の時代は、天皇とはお飾りでも権利者でもなく、国民から敬愛されることで国民が結びつく、そういうものだと思います。

 西尾幹二は、2019年4月号のWILLで、秋篠宮さまの長女の婚約について、「遠くからしか見ていませんでしたが、秋篠宮家の眞子様は聡明で、お姫様として最高の人だと思っていました。だからこそ、今回の事件で衝撃を受けた。」と書きましたが、私は驚きませんでした。

 なぜなら、昭和の頃、礼宮さま(現秋篠宮さま)のお写真は、サングラスやネックレス、ラフな身なり、スナックでの談笑の写真でした。当時は良家の子女は、シンプルでオーソドックスな身なりをするものでした。また、長女のお嬢様と現夫の男性は2016年、電車のドアの前で親密に立つ姿がすでに写真に撮られておりました。

 西尾幹二は、「天皇は国民共同体の中心」と書いており、私も、天皇は歴史の中心だったとは思いますが、いくら歴史観を並べても、昭和の頃からみた礼宮さまのネックレスやサングラス、またお嬢様のお写真から見受けられるものは、語る歴史観と比べられない軽さでした。ですが、結局、ファッションは個人の自由。

 庶民であっても、「自分は家の後継ぎだから離れた地域の人と結婚できない」「親が公務員だから、素行の悪い人とのお付き合いはできない」という縛りは、漠然と有って、少なくとも私個人にはありました。自由恋愛と言っても、枠のなかで自由なのです。

 普通はその枠のなかで結婚し、たぶん、皇族の方もそうでしょう。身分が高ければ、もっと枠は厳しいかもしれません。

 その枠から外れた人と結婚したら、枠はそもそも無かったか。有ってもそれを超える愛と幸せがあるのでしょう。有ると思えば有るし、無いと思えば無いのが枠です。そして、誰と結婚しようが自由と法律は定めます。

 西尾幹二に言いたいのは、親が子供を思う自然な愛や、雅子さまの学歴、ハイヒールなどのファッションセンス、どれもこれもまっとうに勉強し努力して得た成果について貶したか、悪いことをしていない善良な人間や、小学生時代の未成年の内親王を、なぜ、悪しざまに罵ったか、今はどう思うか、あなたは今まで何を見てきたのか、死ぬ前に語るべきで、それこそが、知的誠実なんだ、ということです。まあ、「歴史が私を裏切った」とか抽象的なことを言いそうですね。

 私は、天皇崇拝ではないし、会ったこともないが、映像や音声で服装や表情、姿勢の良さや、笑顔が自然で目も笑っているところや、スポーツをやったり楽器を弾いてる姿から見て、天皇皇后は普通に優しく真面目で誠実、そして身なりも若い時からきちんとしていて、賢く知性的、性格に癖はないと思う。

 それと、声です。優しく明瞭な声で分かりやすく話す声です。理屈は人を騙すけど、声やしぐさは、意外と人を騙せないものです。でも、インテリは、けっこう理屈にだまされる。

 結局、人は見た目通りなのです。いくら、歴史観を語ろうが、見た通りが、すべてなのです。それなのに、西尾幹二は、いったい、何を見てきたのでしょうか。

 西尾幹二は哲学者だそうで、皇太子さま(現天皇)が天皇にふさわしくないと、あったかどうかも判らない歴史を引用して、グダグダ語りますが、礼宮さま(現秋篠宮さま)が、浩宮さまのように見た目も話すことも行動も素晴らしく誠実、真面目だったら、こんなにグダグダ書かなくても、人は、納得するのです。あんな文章、50年以上見てきて報道もされたビジュアルの前には何の意味もありません。

 私は個人的には、究極は、天皇制がなくても人間は昨日と変わらず生きると思います。が、あれば、その生き方や振る舞いは規範になるし、「令和の時代はこういう文化」という指針にもなる。ましてや、真摯に誠実に生きる人が今の天皇なので、できれば、失うのはもったいない。

 私は、普通に優しい善良な人間を悪しざまに罵ることを学問とは思わない。これで、私の平成のわだかまりが終わりました。

 

 

下水道科学館の初音ミクのマンホール蓋、六花亭北館でお茶

 北区麻生の下水道科学館で、スタンプラリーがあり景品がもらえ、初音ミクの図柄のマンホール蓋も展示されているので、行ってみました。

 途中、北34条のヤマダ電機の建物が解体され、40年前に営業していた「生協」のロゴが壁に残っているのが見えた。短期間だが、結婚する前に北26条 に住んで、生協にも時々行き、閉店まぎわの半額の弁当を買った。消えない過去が壁にあった。

 当時は、家賃1万2千円の共同玄関共同トイレの6畳間アパートに住んでいて、部屋の真下に大家さんが住んでいた。玄関脇に電話があって、住民に電話がかかってくると、大家さんが取り次いだ。もちろん、そのアパートはすでになかった。

 下水道科学館で、スタンプラリーをやって、景品にボールペンをもらった。

初音ミクちゃんが描かれたマンホール蓋があると聞いたのですが」「こちらになります」係の人が、市内に分散したマンホール蓋の設置場所を教えてくれた。

 午後は、六花亭の北館で醍醐というブルーベリー味の洋菓子を買ってコーヒーとともに味わった。おかわり自由なので、野良猫はおかわりしていた。

 「昔、結婚するなら六花亭の女性店員さんが良い。気配りできる人ばかり採用される、と言われたそうよ。今ならセクハラかも知れないけど」「確かに感じの良い店員さんばかりだけど、それって東京の東十条のどら焼きの店の店員さんも、ここで働くと良縁があるって言われたよね。ケーキ屋さんでそんな話しは聞かないのに」「和菓子は茶道に使われて、お茶を習う人が多いとか、そういうイメージじゃないかな」

 醍醐は美味しかった。

  

 

 

TRIPLANEライブ@モユクサッポロ、甘酒仏17字、新倉屋の花園団子

方言も業務用なりホッキ売り 

薬飲み忘れる午後や甘酒仏 

化粧品使い慣れぬ娘や入社式

 

 本日、狸小路のモユクサッポロにて、札幌出身のTRIPLANEというバンドのフリーライブがありましたが、早く到着したので、成田山新栄寺に立ち寄り、お参りすると、ちょうどお釈迦さまの誕生日である「花祭り」が近くて、右手を上げた甘茶仏に甘茶を3度かけた。休憩室にもあり、これを飲むと、長生きすると言われます。

 それから、モユクサッポロまで行った。ライブは、一階の入口で行われた。TRIPLANEは、声はMr.Childrenによく似ていて、特に「モノローグ」などは、ミスチルの雰囲気。いや、Mr.ChildrenTRIPLANEに似てるのか。

 それから、狸小路6丁目の新倉屋の花園団子の喫茶室に行って、団子を食べてお茶を飲んだ。どんな店かと気になっていた。レトロな雰囲気の喫茶店だった。壁にはめこまれたレンガが、昭和っぽい。

「新宿にも花園団子ってあったよね」「あれは花園万頭と追分団子」

 

 

雪解晴れ17字、大谷選手のこと、人生に別れは付き物、生まれ変われたら

この道はどこまで続く雪解晴れ

別れとはなぜ突然に草芽吹く

きな粉こぼす余生うぐいす餅甘く

合格の娘は不在なりティータイム 

雪靴を片付け新たな散歩道

 

 アメリカで活躍する大谷翔平選手の、その分身のように付き添っていた通訳の青年が違法賭博で大谷選手の巨額のお金を使い込み、解雇されたニュースは、私の家族らみんなを驚かせた。特に、母は、日本ハムファイターズの時から、大谷さんを見てきた。

 一部のマスコミらが、「なぜ気づかないのか」と書くなか、大谷さんは記者会見を開いて説明し、「僕はいっさい知らなかった。彼は嘘をついていた」と説明した。信頼していた青年と訣別した人は、少し悲しげに見えた。

 お金に関するトラブルや信頼する人に裏切られることは、どなたの人生にもあることで、私を含めて皆さん、我が身に引き換えて、「大谷さんはショックだろうね。通訳の青年はなんてことを」とつぶやく。

 だけど、人生は別れが付き物。大谷選手の明るい未来のために、通訳の青年の役割はもう終って分身はもう要らないので、こういう衝撃的な別れで断ち切らせ、それは必然だったのだ、と今は感じる。

 大谷選手には、自分や社会のために出来る事や社会的な使命もあり、夫人や他のスタッフと作り上げる世界や、素晴らしい「未来」があると、あらかじめ、予定されており、そのためには、今、ギャンブル愛好の通訳の青年と衝撃的な別れをしなければならない。

 わたし自身も、「この人とずっといたい」と思った人との別れを経験し、その時はつらかったが、今思えば、それがあるから、今がある、と思う。

 それでも、民謡の先生やギター女子との別れは辛くても、野良猫が脇にいてくれた。

 想像したくないが、野良猫が居なくなったら、気が狂うとは思う。何の未来にもつながらない別れだとは思う。でも、彼と出会わない人生は、今は考えられない。今を大事にするしか、ない。

 野良猫は、のんきに、「2060年ころ、また生まれ変わり、お前さんと結婚できたら、次は、父親になってもいいかなあ」と言う。また会えるならそういう別れもまた良いか。

 北海道はようやく春がきて、雪が解けたあとに草の芽が生えてきた。「雪靴片付け」「スノーシューズ、スノーブーツをしまう」は自分が作った季語です。「雪沓」という、わらの沓(くつ)が元々の俳句の季語だけど、誰もそんなの履いてない。

 

 

ネットカフェでインスタコードのアップデート

 今日は、ススキノのジャンカラで、インスタ男子と会って、カラオケ音源で「ラズベリードリーム」のキーボードパートを披露した。

「カラオケ音源で演奏するほうが、綺麗に聞こえるよ。だけど、インスタコードでキーボードパートをやるには、音域が狭いね」とインスタ男子は評した。

 「きみはバンドに入って何をやりたかったの?」「仲間と青春したかった。別に相手のレベルは問わないけど」「演奏技術によって序列ができるからね。気に食わないと、トンズラする奴も多い。ドラムマシン使えば良いじゃないか」「だって、あれはメトロノームでしょう」「今はこういうの、あるんだよ」と、ローランドのリズムマシンをYouTubeで見せてくれた。「喫茶店に毛の生えたような小さいライブハウスにはドラムなんか無いんだから、ドラムなんかリズムマシンで充分だよ」「確かに」

 それから、そこを出て、ネットカフェに行き、インスタコードをパソコンに接続して、アップデートさせ、ルーパー機能という、多重録音ができる機能にした。ネットカフェって便利だなと思った。