ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

ピアノの発表会はオリンピックより「くそ」ではない

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 KADOKAWA夏野剛(IOCの参事)という人が、ネット上の番組で、緊急事態宣言下での東京五輪の開催を巡り、世論を形成する国民の不公平感について

「クソなピアノの発表会なんてどうでもいいでしょう、五輪と比べれば。それを一緒にするアホな国民感情に、今年選挙があるから乗らざるを得ないんですよ」と持論を述べた、とされます。

 新型コロナのために、お子様や若者の修学旅行、文化祭、運動会、発表会、諸々の行事が中止になり、涙を飲んだ人も、多数、居たと思います。

 もちろん、新型コロナ感染を抑えるたやめに、イベントが中止になるのはやむを得ないし、みんな、弁えて、堪えているわけです。

 ですが、楽しみにしていた行事が中止になった失意の若者の気持ちを想像すると、胸が痛いです。

 子供のピアノ発表会や運動会などは決して、オリンピックに劣る「くそ」ではなく、そこから、未来のアスリートやプレーヤーが生まれたり、その思い出が人の人生を後々まで、照らし、支えると思う。

 自分だけ照らす照明、演奏し終わったあとの拍手と花束、「良かったよ」という賛辞の言葉、発表会ほどの華やかなものは、あるでしょうか。

 こんな私にも、かつて、1度だけ、吹奏楽で、北海道でいちばん格上とされる今はなき厚生年金会館大ホールでの、北海道大会に出場したことがあります。

 元々は、独りでリコーダーを吹いて、気持ちを紛らわしていましたが、音程が安定しないリコーダーを捨ててクラに転向、近隣の吹奏楽団に入ると、田舎でライバルがいないので、地区大会から北海道大会に行けました。

 厚生年金会館大ホールは、松山千春もサザンも爆風スランプ中島みゆきも使うところで、北海道でいちばんの舞台、音響も照明も素晴らしかった。

 1度だけの体験だったが、今も私の人生を底から支える光がありました。

 私は、ここに行けたんだ、そう思う気持ちが、後年の自分を支えました。

 この、後年まで自分を照らすイベントが、オリンピックより、くそな事はないのです、誰の人生だって人として、対等なはずです。

 早くコロナが収まってほしい、

 お子様や若者が、発表会や運動会、旅行などもできるようになってほしい、

 もちろん、オリンピックだって、やるからには、がんばってほしい、

 選手の方は、「くそ」な運動会を経て、オリンピックという大舞台で輝く。

 人は対等なのだから、ピアノの発表会がくそで、オリンピックが素晴らしい、わけではない。

 差別のない社会、人が対等な社会、それは、私の胸のなかにあります。

 私は、厚生年金会館大ホールの眩しい光を一生、忘れないだろう。

 

 今日はテレビで、ブルーインパルスが空に五輪を描く場面を見ようとしましたが、よく、分かりませんでした。