ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

赤羽に旧陸軍の面影を探して歩く


 北区赤羽には、戦争が終わるまで、陸軍の師団が存在していたそうですが、今ではその面影はほとんどありません。
 赤羽西六丁目停留所でバスを降りると、末広稲荷という小さいお稲荷さんが祭られるが、これは、このあたりに陸軍の火薬庫が明治五年に作られた時に、火災予防の祈願として作られたものです。

 狐の目が鋭い。弾薬を粗末に扱わないように見張るようだ。

 さらに、まっすぐ歩き、赤羽郷を通過して、法善寺も通過すると、八幡坂という下り坂になり、右側に墓地が見えると、道路と墓地の境目に、小さい石碑があり、うっすらと「陸軍」の文字が見えます。

 このあたりに、陸軍被服廠という、軍服を作る工場があったそうで、その境界にある石だそうです。労働者がたくさんいたんでしょうね。だから、赤羽駅に飲み屋街もできたのかな。
 八幡坂を下ると、右に行けば赤羽駅、左に行くと道が2つに分かれ、左の急な坂を上がると、戦勝祈願の八幡神社があった。

 神社の真下に、埼京線京浜東北線などの線路が通り、電車が走るのが見えた。

階段を下ると、日露戦争時の忠魂碑があった。

 若い人がたくさん戦死したのだと思うと、やるせない。
 さらに、「師団坂通り」を上がった。

 この上に、かつての陸軍師団があったそうですが、現在はミッション系の学校、さらに進むと東京医療北センターという病院、その病院の前方に児童遊園があり、そのそばに、防空壕跡の穴が空いていた。

 このあたりは、軍部の施設があるので、空襲もひどかったようです。こんな小さい穴で、助かったのだろうか。
 それから、かつて、軍用線路の跡地の緑道を進んだ。線路の枕木を模した模様があります。

 赤羽郷の古い商店街に到着すると、かなり空腹になり、台湾のお惣菜を売る宮崎商店で、あさりのスパゲッティとオーギョーチというデザートを食べた。


 感じの良い店主がお茶をサービスしてくれ、私は土産にお惣菜を買った。
 ここは、戦後、故郷を出て東京に来た人や復員した兵隊さんらが入居者する都営住宅になり、ここを第二のふるさととするために「赤羽郷」と言われたとか。

 台湾料理のお惣菜も、ふるさとの優しい味がありました。
 赤羽のURの団地内に、陸軍の建物のレンガで作ったベンチがひっそりと。