ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

舞妓さんと三条大橋や思い出、20年後の自分

 昭和の頃、実家に、舞妓さんが三条大橋に佇む図柄の状差し(ウォールポケット)があり、私はその図柄をみて、「京都に行きたいな」と思った。父は高校教師だったので、たぶん、修学旅行の土産だろう。何となく、旅情を感じ、旅をしたいな、京都に行きたいな、といつも思った。

 同じ図柄の状差しをまた入手したいと思ったが、なかなか見つからなかったが、メルカリで、似たような図柄ののれんを見つけて、「あ、これだ」と購入した。安かった。舞妓さんはなぜ三条大橋に立っているのだろう、こういう図柄は定番なのだろう。

 また、実家には、誰かが買ったか分からないが、観光土産の「通行手形」と書かれた将棋の駒の形のプレートが、飾られていた。この通行手形は、三角形のペナントと共に、昭和の定番の観光土産でした。実家には、ペナントはなかったが、通行手形はあった。最近では、見かけなくなりました。

 こんな品物も、ネットでは流通しているのですね、浅草の観光土産の通行手形を見つけて購入しました。これぞ、昭和という感じです。浅草は、かつて、今は亡き父や、野良猫、長唄の仲間、女装クラブで写真を撮った人、ギターやカラオケ仲間、さまざまな人との思い出の街であり、私には特別な街だった。

 

 昔の記憶をいろいろたどると、平成になったばかりの頃、義父母たちと鳴子温泉に旅行にいき、義母は鳴子のこけしの爪楊枝入れを買って、食卓に飾っていた。私は当時はこけし人形には興味がなかったが、30年前の楽しかった記憶がよみがえり、こけし人形がほしいと思った。こけし人形がほしいと言うより、みんなで楽しく旅行した記憶や、一緒に食卓を囲んだ記憶をとどめたいのだと思う。

 頭に穴があいたペンたての鳴子のこけしを購入し、緑内障の目薬を中に入れた。可愛い顔のこけしさんは、泣き笑いしているみたいで、寂しそうにも楽しそうにも見え、胴体に菊の絵が描かれていた。今は今で楽しいが、あの時も楽しかったな。こけしを見ると、義母を思いだし、コロナで4年も会ってないと寂しく思う。

 平成の初期、私に、綿入れはんてん(半天)を作ってくれたおばあちゃん(祖母ではないが)がいて、感激した私は、裏が破れるまでそれを着た。衿に、黒のビロードの衿がついて、私はいつもすべすべした衿に触っていた。手作りの綿入れ半天は暖かくて、自分を守ってくれるツールだと感じた。

 30年経った今、どうしてそんな記憶がよみがえるのだろう。私は、ネットで、ロング丈の裏ボア、前合わせ、色は、ワイン色というか小豆色で、梅の花柄の綿入れ半天を入手しました。こういう柄の着物や布団を、昔見た気がして、懐かしい気持ちになった。

 私は以前は、着物が好きで、よく着ていました。最近は、わざわざ着る体力もなくなりましたが、和風のものへの憧れはまだあって、ロング丈の半天を着ると、着物を着たような気がして、満足感があった。

 これは、ネットで入手した半天だけど、おばあちゃんが作ってくれた半天を思い出させ、なおかつ、ロング丈で暖かくて、パワーアップしたのだと感じた。

 ただ、黒のビロード衿はついていなかったので、メルカリで黒ビロードのはぎれを買って衿に縫いつけた。はぎれなので、ちょっと短いが、触覚の記憶をよみがえらせるツールなので、これで良かった。

 20年前、野良猫と、箱根に日帰り旅行したことがあり、ケーブルカーから富士山を見て、思わず「あ、富士山」と叫んだ記憶があった。あれから、一度も箱根に行ってないが、湖が綺麗だった。

 そして、メルカリで、「箱根の旅」と書かれた状差しを買った。箱根や熱海、伊豆方面は、風光明媚な印象なので、また行ってみたい。

 子供の頃や若い時は、精神的経済的苦労が多く、楽しくなかったが、しかし、数少ないけど、綺麗な思い出もあり、それがあるから今の自分がある。過去を思い出させる品物は、昔の自分の分身かも知れない。

 そして、過去を回想しながら、「今を大事にしよう」と思うのです。

 20年後、武蔵小山を歩きながら、80歳近い私は、「あの頃、ギター女子と練習したな、ボカロやヨアソビちゃんなどのアニソンの歌を披露したな」と回想するだろう。

 あの頃、私は58歳だった、若かったなあ、と涙を流しながら。