ずぶぬれの二人の札幌

札幌でフリーライブとグルメを楽しんでいます。

館林のつつじ、美少女に憧れる小説の田山花袋、おいしいうどん、田中正造など

 館林市のつつじまつりに行きました。去年、一昨年はコロナによる緊急事態で、県をまたいだ移動ができなかったが、今年のゴールデンウィークは、久しぶりに移動ができるため、つつじ園はにぎやかだった。 ここは、江戸時代は、館林城のつつじ庭園だったそうで、つつじの古木は、とても大きかった。つつじってこんなに大きくなるんだ、と感心した。お琴の演奏もあり、格調高い、江戸情緒を感じました。

 ボランティアの人が、写真撮影をしてくれた。今どき、写真を撮ってもらうのも気を使うので、こういうサービスは有り難かったです。

 館林城の跡地は、市役所になっており、その近くに、田山花袋記念文学館や、向井千秋記念子ども博物館があった。向井千秋は、日本初の女性宇宙飛行士だそうで、プラネタリウムもあるそうですが、田山花袋の生家を見てきました。この人は、明治のはじめの自然主義の作家で、館林の武士の出身ですが、「少女病」という短編小説を書いた人です。これは、妻子ある37歳の男性が、電車で見かけた美少女の女学生を見つめて憧れたあげく、満員電車から墜落して轢死する、という内容です。

 野良猫は、「何それ。変な話し」と言ったが、私は、乗客の内面より、明治の山手線は、乗客の墜落があるほど、安全性がないのか、そっちが気になりました。田山花袋の生家は、普通の古民家という感じだった。

 館林は、うどんが名物ということで、「本丸」で、なまず天ぷら付きうどんを食べました。ボリュームあっておいしかった。

 そのあと、「田中正造記念館」に行った。田中正造は、足尾銅山の公害により、河川が汚染されたことを訴え、明治の天皇に直訴し、自分の財産すべてを環境問題改善のために使い、亡くなった時には、聖書と石ころしか、持たなかったといいます。なんと、崇高な人なのだろう、と思った。

 館林は、昔は花街があって、芸者さんたちを取りまとめる見番の建物が残っていました。今は使われていないのだろうか。

 駅前には、分福茶釜のタヌキ像や、かつて巨人軍が練習した分福球場についての石碑があった。戦前の巨人軍が、館林で活動していたとは、知りませんでした。もしかしたら、芸者さんたちも、応援したかな?

 美しいつつじ、美少女に憧れて轢死する中年男性の物語、おいしいうどん、女性宇宙飛行士、私財をなげうって天皇に直訴した崇高な環境問題活動家、戦前の芸者さんたちや、巨人軍の人たち、さらに、分福茶釜のタヌキなど、さまざまな世界が、館林に集まっておりました。