ずぶぬれの二人の札幌

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杉本純氏の「こぼれ落ちた人」・「敗北にこそ人生の神秘がある」

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 5月16日の文学フリマにて、杉本純(すぎもとあつし)氏の「こぼれ落ちた人」「藝術青年」を購入しました。

 人生に挫折した人の心理を描く作品が多いですが、

 私は、特に、「こぼれ落ちた人」に収録された「名前のない手記」に惹かれて何度も読み返した。

 「名前のない手記」とは、語り手の50代の山谷の日雇い労働者で、2008年秋に知り合った青年との交流と、翌年、青年が人を殺して逮捕され別れが来るまでのことを回想する内容です。

 青年は善良な性格だし、映画も詳しくて教養もありげだが、2008年のリーマンショックで派遣切りされて職を失い、流れ流れて、山谷のどや街に流れ着くが、元の職場の上司も同じように職を失っている。

 やがて、青年は語り手の男性に勧められ、山谷を出て立ち直りたいと考えるが、元上司にバカにされ、元上司を刺殺する。

 語り手は、かつては結婚していたが、離婚し、サラリーマン生活に嫌気がさしていつしか、日雇い労働者になった。

 青年も、派遣切りで失業し、彼女とも別れて、日雇い労働者からホームレスになり、やがては殺人犯となる。

 二人とも、「負け組」なのだが、語り手は、「敗北にこそ人生の神秘がある」と述べ、自分の人生の敗北を認めた上で、山谷での、静かで気取りもなく、未来もない、精神の平穏な日々を手に入れる。

 「敗北にこそ人生の神秘がある」これは、本当にすごい台詞で、これを言えて、なおかつ青年に手をさしのべようとする50代の日雇い労働者は、実は、この世界での、ある種の勝ち組でさえ、ある。

 敗北者の真の悲劇とは、負け組のなかにも勝者と敗者が存在し、敗者同士が連帯することもなく、罵りあい、時には殺人に至ることである。

 この短編小説は、敗者の集まりのなかで、さらに敗者となった人間が孤立し、互いに傷つけあい、殺人に至るまでが、その時の社会情勢や出来事(リーマンショックオバマ氏が大統領選挙に勝ったこと、酒井法子が薬物で逮捕など)をはさみ、書かれます。

 エミール・ゾラを思わせる、現実的な語り口。

 「こぼれ落ちた人」には、もうひとつ、「似顔絵師」という短編小説が収録されます。

 池袋に本社がある清涼飲料メーカーの営業マンが、「周りを押し退けないと自分が押し退けられるようなサラリーマンの世界が、どうも性に合わない」ため、いつしか仕事への情熱を失い、取引先の既婚女性と不倫をしたことが契機で退職し、似顔絵師になろうかと語る内容です。

 不倫の恋だが、本人はそれなりに真剣に燃えたが、結局は、会社のスキャンダルになり、退職の引き金になった。

 椅子取りゲームのごときサラリーマン生活からはみ出して、放浪するであろう青年の、淡々とした枯れたような心象世界だが、このあと、さらなる貧困や孤独を予想させた。

 社会は、もちろん、弱肉強食なのだが、弱者同士が肩を寄せあうこともなく、孤立し、さらなる貧困がある、そ、れは本当に重い現実です。

 ライオンに襲われる鹿でさえ、肩を寄せあうのに、それさえできない人間の寂しさが、胸に痛い。

 これは、小説ですが、いま、新型コロナで失業し、苦しむ若者が存在します。

 杉本氏の小説は、現実世界とリンクするようです。

 作者の杉本純氏は、板橋区在住で、私は、この人のブログの読者です。

 杉本氏は、映画制作の学校を卒業されましたが、本の表紙には、隅田川を挟んだ台東区墨田区の写真が使われます。

 特徴的な橋の向こうに「山谷のどや街」があります。

 

#文学フリマ